令和5年 外環道路特別委員会

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道場ひでのり
道場ひでのり
自由民主・市民クラブ現職

映像ID: 2429

1679【道場委員】  本日、改選前の最後の当委員会ということで、いろいろなことをちょっと思い出しておりました。やはり整理していかないと、どうなのだろうと。私は、当選して以来、途中抜けていたときもあるのですが、外環道路特別委員会をずっとやってきたわけなのですけれども、大きなことで頭の中に残っているのは2つ。決定的な2つなのですけど、まずちょっと述べさせていただきます。
 もともとは、この委員会の機能というのは、当初、始まった4年前、私が始めた頃というのは、その2とかの話で、本線の話というのはある一定の決着がついて、工事が進んで、そのままいってしまうものだろうなと、そういうような認識だったのです。ちょうど私がこのまちに引っ越してきたのは23年前でしたが、南町に土地を買うか、御殿山に土地を買おうか、迷っていたわけです。南町の土地を見ていたときに、ちょうど駅に帰ってくるときに、外環道路賛成、反対みたいな、外環の問題のポスターが貼ってあったのです。当時そういうことは、外から来る人間、すなわち、私にとっては、何のことだろうなぐらいだったわけです。やはり、不動産を買うという、ある意味の大きな投資をするわけなので、自分なりに調べました。たまたま役所関係にいた学校の同級生とかゼネコンにいる同級生とかにいろいろ聞いたら、この外環道というものがおおよそ見えてきたのです。ちょうど2000年だったのですけれども、ゼネコンの友達が言うには、気にしなくてもいいと言っていたのです。役所の人も、そんなに気にしなくてもいいと。というのは、ずっと凍結になっているから、恐らくこのまま凍結になるぞ、そんな心配はないぞと。でも、話をしながら言ってきたのは、だけど、法律やそういうもののしつらえからいうと、いつ始まってもおかしくないことは事実だと言ったのです。ずっとこれまで凍結されていたから、この先も凍結されるというのは安易な考えだなと。当然、自分の財産にも関わる。財産どころか、自分の子どもを育てるためにこのまちに引っ越してきたわけです。自分の生活もありますけど。それはちょっとまずいなということで、いろいろ悩んだのですが、結局、御殿山にしたわけなのです。
 その後は、普通に平穏に生活をしていたわけです。それで、大事件が、まさにこの議員生活、そしてこの委員会のメンバーの中で活動しているときに起きた。これが例の2020年10月18日の陥没事件です。ちょうど2020年10月18日は、私は田舎にちょっと用事があって戻っていて、田舎から関越道を通って帰ってくるときでした。午後のニュースでこの調布の陥没事故が報道されたときは、びっくり仰天でした。オーバーに言うわけではなくて、本当にびっくり仰天でした。私は、感情は出るのですけれども、意外と何でも冷静に受ける癖があるのですが、これだけはびっくりしました。何でこんなことが起きたのだと。要するに、20年前に自分がいろいろなことを悩んだ、そして外環道のこの委員会にも参画しながらも、当然、気泡の問題やいろいろな問題はありましたけれども、むしろその2の話になって、本線自身のことに対しては比較的平穏というか、そのままいったなら、工事は結局始まったのだけれども。

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