
深沢達也
映像ID: 2389
7916【深沢委員】 これを前提に次を申し上げますが、北口がそうだったのですけれども、昭和62年に広場がぐっと広くなって、平和通り、大通りと一気に全体整備が、電線の地下埋設を一緒にやるという形で進んだ。これは風景が変わったわけだ。
翻って南口ですけれども、広場造成計画を今やっている最中だ。まだ6割だけど。全体像を示すというのも必要なので、それはもうるる議論が出ているのでこっちに置いておくとして、広場ができると、またこれで全体の空気は変わると思うのです。1つは交通体系で、今まで通っていた、西から東に来るパークロードを通らなくなるわけですから。その代わり井ノ頭通りを使う形になります。井ノ頭通りは今までは片面交通だけど、両面交通になるという形。ちょうどスペルのQの字を横にしたようにぐるっと回って井ノ頭通りに出る、そういうパターンになるのだろうと思います。これは建設委員会のほうでまた説明があると思うのですが。
したがって歩く道になった場合のパークロードというのは、また全体の回遊性に弾みがつくと思うのだ。つまり、今までは1階南口を降りると、少なくとも私はそうなのですけど、先っぽのほうまで行こうという感じがしないのです。バスが走っていて。ところが今度は、事実上飲食店街になるわけです。右を見ても左を見ても楽しく憩う、食べるところ、飲むところという。そういうお店もありますけれども。するとそこをゆっくり歩くという風景が出てくる。
そうなると、これはちょっと付け足しで申し上げますと、ずっと東のほうに行ったところに、今の駅ビルのキラリナ、北に通じる通りがあります。こことのぐるりがまた増えるのではないかなと。これはあくまでも予測ですけれども。そうすると、もう全体の空気が変わってくる。風景も変わるし。御存じのとおり、北口のサンロードも以前バスが走っていたわけですが、今そのときのいろいろな古い写真が残っていますけど、ちょうど今のパークロードです。パークロードのほうがちょっと広いかな。もう今、サンロードの風景は全然違うのです。
したがってそういう形で変わってくる中で、さあ、これからそれと連動して、どう全体像をつくっていくかと、こうなるわけです。したがってそういう変化が出てきますから、20年という期間、図らずも20年、その間においていろいろ考えていって、それで公会堂のその先の在り方もそこでやっていくというのは、時の流れからするとちょうどピントが合うというか、ぜひ合わせてほしいと思いますが、そういうふうに捉えています。この辺の捉え方が執行部のほうはどうなのかというのは、ちょっと聞かせてください。