令和5年 総務委員会

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深沢達也
深沢達也
立憲民主ネット現職

映像ID: 2480

8437【深沢委員】  今80年という話が出ましたが、この公会堂は60年ですね。ようもったなと思います。私が初当選したときで既に改築の希望が出ていたぐらいですから、市民の側からも、議会からも。当時の市長は、非常にこのホールが頑強であると。昭和39年に竣工であるけれども、三多摩でも飛び抜けて頑強な施設であることで、もたせるものはもたせるのだと。私は納得しましたから、ああそうですよねと。その後の経過が随分長い期間あったわけでありますが、という中で今日に至っていると。
 過去を振り返ると、昭和39年と申し上げましたが、これはできるまでに11年かかっているのです。これは武蔵野市史に細かく載っているところでありますが、やはりいろいろな問題があって、議論が積み重ねられて、いざ工事となるのが、もうずっと11年のうちの一番おしまいのほうぐらいで。まず最初、1,000人にしようとした。当時の荒井市長、なかなかすばらしいことを考えるなと。当時で1,000人ということは、市民文化会館が最初できたとき、今もそうですが1,300。だから、それに匹敵するものを吉祥寺に造ろう、シンボル施設にしようということだったのだろうと思うけど、着眼は実にいいと思います、私は。ただ、結果、いろいろな議論を重ねて、財政上の問題もあったのかもしれません、現在の300人強になったという経過があって、その間に、例えば、細かくはないけどどんちょうをどうするかとか、それを寄付してくれるところがあったことで、それはしのげたという問題とか、もともとは名前も市民会館というふうに議会では決めたらしいのだけど、結果は、今の武蔵野公会堂という名前になったというようなくだりも載っております。また、駐車場の問題というのもやはり当時いろいろあったようで。そういうものをくぐり抜けながら昭和39年に竣工した、こういう経過であって、やはり時間はかかるというふうに私は思います。
 特に吉祥寺のあの地区というのは、この後出てくる行政報告にもあるように、ある意味気長に考えたほうがいいと。今日のあしたすぐ決めるとかという話ではないと思います。それはまさに公会堂の歴史がそれを物語っているわけで、これは南口の問題が後で出るから、またいろいろと話したいと思いますが。
 ということを私はつくづく感じている次第でありますが、20年という方針が、これまでの既定の路線でいくのだということについて確認をさせていただいたところでありますが、私は、以上のような理由から、時代はどんどん変わっていくし、いろいろな土地の権利関係もすごく複雑で、皆さん御存じのとおりでありますので、しっかりとしたいいものを造っていくには時間がかかるケースである、典型的な例ではないかなというのは私の考え方です。これについて見解をお聞かせをいただきたい。
 それから、さっきの条例の問題ですが、今みたいな先ほど来の指摘が出てくるというのは、十分考えられることでもあると思うのです。だから、ひとつそういう想定の上で今後ともにやっていってもらいたい。ただ、私は、土屋さんの時代からずっと武蔵野市の行政を見てきていますが、当時の土屋市政下にあっても、私は武蔵野市の職員は立派だと思っているのだ。だから、他市に行っても、地元でも、胸張って職員が頑張っていると私はずっと言ってきたのだから。それは市長が誰だって関係ないのだ、そんなことは。というふうに私は信頼しているので。やはり、市民、有権者と政治との信頼とか、有権者、市民と行政との信頼とか、これは数学では表わせない話だけど、そういうものはやはりまちづくりでも何でも一番基本にあるというふうに私は思っています。抽象論になってはいけないが、しかし、私はそういう物の考え方で、初当選以来で勘定すると40年近くになりますけども、やってきましたので、やはりチェックを受けたところは、みんな前向きにどんどん直していくだけの力を持っているわけだから、正しく自尊と自信を持ってやってもらいたいというのが私の考えなのです。そういう中でまちづくりを共に進めていきたいと考えているので、よろしくお願いします。
 その前のものの20年に関して、もう1回答弁を。

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