
深沢達也
映像ID: 2482
8590【深沢委員】 南口は、唯一今あるのは広場計画があると。これはもうぜひ進捗してほしいわけだけども、そのためにも全体像を、こういうことだと思います。北口側の話が再三にわたって出ましたが、あれはできたのは昭和62年で、計画決定は昭和39年、つまり23年目に出来上がっていると、線引きはできていたわけです。それどおりにつくれたわけです。境の場合はまた別のプロセスを歩むわけですけど。当時私は、議会に入ったのが昭和58年ですから、入ったばかりで、当時の市長が、やはりこれにかける気力がすごいというのは私はすぐ分かったのです。本気でやるなと、これは。私は最大の協力をさせてもらった、私なりに。というのは、いろいろ今まで長年計画が実現できなかったから、まあそう簡単にはいかないだろうというふうにみんな思っていた。地元の人から聞かれたから、いや、あれは本気だと。図らずも、その直後ぐらいからががーっと動き出した。いろいろな要因があって、当時の市長の指導力も当然あったわけですけど。という経過なので、計画ができても23年手がつかなかったという状態。境の場合はまた別の次元で大分年月が、やはり20年とか、最終的には三十何年目ぐらいにできて、高架になってという、これはこれまでの歩みであります。
だから、権利があるところに手を入れて線引きしているところですらそういう状況で、これからやろうとするのは、御指摘がそれぞれあったように、自分の持ち物に、人様の持ち物にどうするかというところに入っていかざるを得ないような側面があるわけです。と思いますよ、それは。ですから、そういう折に、まず全体像を描こうというのは当然の順番であるから、それが庁内プロジェクトという単位で、これがまとまりましたと。これから本格的に将来像立案に向けて、つまり具体化ということですよね。というふうに捉えますので、これはこれとして、今まで再三にわたって行政報告を受けて、総務、建設の合同の現場視察もしたこともありました。あの南口一帯をみんなで公会堂も含めて回ったことがあったのですけど。ということだと思います。そういう認識でよろしいわけですよね。
なおかつ、ソフトウエアというのが必ずまちづくりには入るわけで、これがなければ吉祥寺らしくないわけです。その実験というのは、三鷹の北口も含めて、例えばあれはオープンデッキでしたか、というのをところどころ、折をつかまえて実験をしてきているという経過もあるので、そういったいろいろな流れを総合して、これからより具体化ということの流れになる、こういう把握で私はいるので、ぜひ頑張ってもらいたいということを一言言うために立ち上がったのですが、そう認識しています。プロセスと今後に向けたものということで認識していますが、これでよろしいのですよね。