
深沢達也
映像ID: 2437
10778【深沢委員】 ひとつ、そういう構造でありますから、技術的な面を含めて、しっかりお願いしたいと思います。
ちょうどこれは一つの経過になるのですが、今回も一緒に、障害者総合センターも同様に改築なされるわけです。障害者総合センターのほうは改築になるのかな。ちょっとその説明をもう一回。書いてあるけど。平成5年、同年にできていて、その前年に北町高齢者センターができた。だから当時新しい福祉施設が、2年続きでどんどんできてきたときであります。
同時に、それまでの施設型の福祉から、在宅、そして地域の中で生活するという、そのシフトが大きく変わっていく。昭和50年代からこれが竣工されるぐらいの間、もう盛んにそういう議論が重ねられて、その方向にシフトが切り替わって、当時としてはその象徴的な建物で、御案内のとおり、あの北町高齢者センターは、当時の英国のダイアナ妃も来られたところでありますが、そういう施設であります。今のは質問ではありません。
もう1点は、さっき与座委員からも出ましたが、いわゆる中島飛行機製作所の跡地である。特にここは東地域だから、陸海で言うと陸軍側の工廠だったと思いますが、その跡地で、そこに爆撃を受けていますから、したがって慰霊碑があった場所であるとともに、そこに駅があったわけです。そういった歴史的な経過が風化しないように、慰霊碑のことも含めてですが、私のほうからそのことを申し上げたかったのです。ちょっと後でまた、それに対する見解を聞きたいのですが、戦争が終わって、国民が希望を失ったときに、新しい会社がこの武蔵野に。社名は歴史の百年史に書いてあります。国民に希望を、それはスポーツだということで、今のパークタウンのところに、ちょうど丸くなっていますが、球場ができたのは皆さん御存じのとおりで、グリーンパーク野球場であります。
たった1年で、ほこりがすごいので、なしになってしまって残念だったわけですが、そういう場所でもあるということについて、やはりこのまま年がどんどんたっていってしまうと。つまり軍事施設を平和利用。平和な日本をつくろうと。慰霊碑ももちろんそうでありますが、その痕跡をあの場に、何らかの形で。もちろんいろいろな広報ではそういうことをうたっていただいていますが、その辺についてどうでしょうか、お考えがあれば聞かせていただきたいと思います。