24852【山崎委員】 そうなると、武蔵野市の独自の図書館がある理由がちょっと薄れて、結局国会図書館があればいいではないかって話になってしまうように思うのですけども、この図書館の自由に関する宣言というのは、図書館の存在意義を語っているもので、図書館が何であるのかの前提条件になる話ではないですか。これに対してこういうふうに書いてあって、でも、武蔵野市は購入するのに契約があるからこの範囲しか買えないのだというと、その契約自体がおかしいことで、本来もっと幅広いものをきちんと購入できるようにしないと、図書館としてのその存在理由が失われてしまうように思うのですが、その辺り、御意見いただけますでしょうか。