18834【深沢委員】 そういう答えを聞きたかったところであります。この健康づくり事業団は、前は健康開発事業団と言っていた。昭和62年に保健センターができたときに、横河電機さんから医療機器の寄付を頂けるということで、当時の市長、土屋さんが、もとより初回の選挙のときの公約の大きな一つが健康づくりだと。元気なお年寄りをたくさん市内につくっていくというか、どういう表現をしたらいいか、それがあって、まず総合体育館、そして保健センターと。
この保健センターは、やはり厚生委員会が当時できる前は関わって、私は厚生委員だったのです。昭和62年にできて、実は私はその頃、結果はその後分かったのですが、その事業団のおかげで。胆石だったのです。だからしょっちゅう痛んでいたのです。ところが、まちの結構いい診療所、私が信頼する診療所なんかも行ったのだけど、ちょっと原因が分からなかったのです。その事業団のエコーですぐに分かって、そのままもう手術して取って、治ったというのがあったわけです。つまり当時、エコーなんというのは一般の診療所にそんなになかったのです。
いわんや内視鏡はもとより、人間ドック自体もその頃、ちょっと遡って40年、あるいはそれ以上前は、人間ドックというと1泊でちょっと離れたところに、それ専門の病院に行くとか、そういう時代だったわけです。ですから、当時、昭和62年にこの保健センターができて、事業団で人間ドックをやるのだと。ある意味で、非常にフロンティアだと私は当時は思って、そのできることにも賛成した一人なのです。賛成して、実際使ってみたらおかげさまで、私が受けたのが初年度なのですが、それですぐ胆石だと分かったという。
つまりそれだけ時代が大きく変わってきているということを前提に、さらにこの事業団を、次なる時代へ向けて、新しい事業も含めてやっていこうと、こういうふうに理解していいわけですよね。そこをちょっとお答えいただきたい。つまりこの事業団の事業というのは、英訳するとエンタープライズ、あるいはプロジェクトとなるのです。ビジネスエンタープライズないしはプロジェクト。このエンタープライズという語源には、冒険という。ある意味フロンティアです。
だからやはりそういうことで、新しい事業をさらに時代に合わせて生み出していく。必要なものはそのまま継続して、充実してやっていくと。こういうふうに理解を。新たにこれから新しい時代を迎えるに当たって、これを機に、その一番原点的な方針、姿勢をちょっとお聞かせいただければと思います。どなたが答えていただいても結構です。