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令和6年 総務委員会

3月4日(月曜日)

令和6年 総務委員会
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大野あつ子
大野あつ子
市議会公明党現職

映像ID: 2667

14846【大野委員】  それではよろしくお願いいたします。
 大分過去まで市報を振り返ってみたのですけれども、邑上市長が交代をされた平成17年が、多分、今陳情者でもいらっしゃる市長がお辞めになって、急に、今回のように違う時期、本来市長任期満了に伴う市長選でない時期にあったときに、邑上市長が平成17年の10月9日投開票で当選をされていて、その後、平成17年11月1日号に御挨拶と、数字だけそのときは載っているような市報の構成になっているのですけれども、多分、10月9日に投開票なので、その間に10月15日号というのがあったけれども、そこには特に掲載はなく、いつもちょっと時間がたってから市長の挨拶というのは毎回載っかっているのですけれども、その挨拶と一緒に市長選の選挙結果が載っかっているというふうになっていました。
 その前の土屋市長時代、その前の藤元市長時代、後藤市長時代に遡って見てみたのですけれども、その間というのは、やはり4月の終わりぐらいに市議選、市長選があって、5月1日号に数字だけまず、いろいろな印刷の技術的な部分もあるかとは思うのですけれども、数字だけ載っかっていて、その次の5月15日号に市長の挨拶が載っかるというような形態で、それまで何か出てきていたのですけれども、この平成17年に、何か形がそれまでと変わったという印象を持ちましたが、これは特に、突然の市長選であった、だから多分編集会議との兼ね合いがあったのか分からないのですけれども、市議選との別タイミングであったということが原因なのか、はたまた、邑上市長の意向があったのか。何かしら理由があったのかなと思うのですけど、ただ、大分昔のことなので、ちょっともう当時の方がいらっしゃるかどうかも分からないのですが、お分かりになれば、その辺の状況をお伺いしたいということと、あと、その紙面について、昭和の時代から現在の形というように、何回か多分リニューアルをされていると思うのですけれども、市報のリニューアルは、過去どんなふうに行われてきたでしょうか。