15081【深田委員】 すなわち、この懇談会が進めたい方向に合わせたというふうに理解できます。
事例として、三鷹市さんの平和事業、これはウェブサイトで見られますので、見てください。「環境・差別・難民・経済格差など、様々な問題を抱えた現代において、平和は単に「戦争がない状態」という狭い意味でとらえられるものではありません。これらの諸問題を含めた「積極的平和」という、平和を広義にとらえる考え方が必要です」。武蔵野市の対極にあります。こうする、間口を広げることによって、まさに個人個人の思想は尊重した上で、その人の置かれている平和な状態かどうかということについてアプローチしているわけです。考える機会とし、社会教育であり、生涯学習の機会となっているわけです。
狭い意味で研究者が狭義の平和ということを捉えながらアプローチしていくやり方というのはよく論文書くときにやるのです。ですけれども、それは、では広く市民のためになっているかどうかということを考えなければいけません。日本の今この武蔵野市で暮らしている子どもたちにとっての平和は何か。この戦争に限定した狭義の平和ということに思いをはせるということはいいかもしれませんけれども、実は毎日の暮らしだったりします。私も世界連邦の活動を事務局を長くやらせていただきました結果、子どもたちが平和とは何かということを捉えるときに非常に広いということが、学ぶ機会となりました。当然いじめの問題だったり、環境の問題だったり、家庭内の問題だったり、そうした子どもの目線にきちんと照準を合わせていくということが、大人の、平和政策の懇談会の中で、当然のことながら捉えられていく必要というのはあるのではないでしょうか。
ですので、三鷹市は8月15日に必ず平和の集いを市民全体でやるのです。武蔵野市はなぜ8月15日に何もしないのでしょう。これについても何か記録があれば教えてください。