令和5年 総務委員会

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9712【田上人事課長】  どういう背景でこうなったのかというところまでは、ちょっとこちらも定かではないのですけれども、先ほども御説明したところがございますが、昭和42年という古い段階の話なので、もともとは東京都で全部やっていたというところがありますけれども、それでは賄い切れなくなったというところで、市部、町村部に関してはそれぞれ行ってくださいということで、事務が分けられたというふうに考えております。それで、市制施行団体としていた東京都市公平委員会と、それ以外のところでの市町村公平委員会というものが設置されたというふうに考えております。
 そこの違い、どちらが都市公平委員会で、どちらが市町村公平委員会かというところに関しては、そのときの状況によるかなとは思うのですけれども、その当時の管理者の自治体がどこであったかというところが主な理由になるかなと思います。
 今回も、東京都市公平委員会、今、管理者は実は多摩市さんなのです。多摩市が所属しているのは東京都市町村公平委員会のほうになるのですけれども、この検討がされ始めたときの管理者が東村山市になっておりまして、東村山市の所属している公平委員会が東京都市公平委員会のほうになっているという状況がございまして、その検討したときの管理者のところで加入の申請をするというふうな経緯だというふうに聞いております。
 以上です。

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