23846【小美濃市長】 先ほど御答弁させていただいたのですが、5年度に関して、市長としての職務は1月と2月と3月の3か月でございました。思い返しますと、5年度の、令和5年の途中でしたよね、途中にコロナ禍が、8月でしたか、あれは、変わったの。(発言する者あり)5月でしたか、5月に5類に変わりまして、ただ、変わったといっても、急激に、では次の日からまちの中が急に明るくなったかというと、そういう感じではなかったと思うのです。取りあえず2類から5類に変わったから、恐る恐るいろいろなものが再開し始めましたけども、例えば様々なイベントでも、まだマスクは着用しましょうとか、あまり密にならないようにしましょうという注意をしながらも、様々なイベントがだんだんでありますけども、展開をされてきたというような記憶がございます。それから約1年たちまして、今年の5月ぐらいには大分それも明けてきたかなと思うのですが、まだまだ令和5年度中というのは、注意しながらの、恐る恐るの、コロナ前に戻そうという動きだったのではないかなというふうに感じております。
私もそれが感じられたのは、新年会は、初めて市長として出させていただいたのが令和5年の1月からの新年会で──令和6年の1月か。令和5年度中の新年会ということでございました。どうだったかというと、やはりまだ遠慮しいしいでございました。私も実はそのとき罹患をしてしまったのですが、そういう状況の中でございましたので、コロナ前と、コロナ中と、そしてコロナが5類になってからのことを総括すると、5年度というのは、まだまだコロナ禍を引っ張りつつも、しかし、6年度に向けて少しずつ日常を取り戻してきたという年度だったのではないかなというふうに思っています。また私も、3か月ではございましたが、そういう心持ちで、また、気持ちで市長職に就かせていただいたと、業務につかせていただいたと、そういうことでございます。