令和5年第1回定例会

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与座武
与座武
自由民主・市民クラブ現職

映像ID: 2430

5157◯18番(与座 武君)  議案第6号 武蔵野市子どもの権利条例について、反対の立場から討論をさせていただきます。
 この条例の基となるのは、1994年に国連で批准された子どもの権利条約であります。児童を18歳未満の者と限定し、貧困や飢餓などの困難な状況に置かれている児童の人権尊重、保護を目指した理念条約であります。この条文の中に、「締約国は、児童の父母、法定保護者又は児童について法的に責任を有する他の者の権利及び義務を考慮に入れて、児童の福祉に必要な保護及び養護を確保することを約束し、このため、すべての適当な立法上及び行政上の措置をとる」とあります。
 条約の趣旨に対して、本市において条例制定の前提となる同様の立法事実があるかどうかは曖昧な部分はありますが、条約の理念には賛同するところであります。よって、条約の理念に準拠し、関連法との法的整合性を整え、内容の実現性を担保し、条例化することに対して、決して反対するものではないと、まず最初に申し述べさせていただきます。
 その上で、陳情に記載のある、武蔵野市での議論は限られたものにとどまざると言わざるを得ませんなどと指摘されないように、以下述べる懸念事項などに対して、保護者、学校の先生方、そして市民の皆様方の忌憚のない御意見を踏まえ、もう少し腰を据えて、継続して議論することが肝要だと考えます。議員任期満了の最後の議会に提案し、即決を求めるという、このタイミング、そして急ぐことの必然性が、私には理解できません。
 以下、危惧する点を述べさせていただきます。
 1点目は、誰が第一義的に子どもの権利を守るのかです。条約には、子どもの権利を保護する主体は、「父母、法定保護者又は家族」とあり、条例の関連法である教育基本法、こども基本法には、「父母その他保護者が第一義的な責任を有する」と明記されています。子どもを第一義的に養育する責任は誰にあるのか。子どもを第一義的に教育する責任は誰にあるのか。子どもの権利を第一義的に守る責任は誰が負っているのか。それは父母であり、法定保護者であることは明らかであります。
 なぜ、その基本中の基本を明記しないのか、甚だ疑問であります。子どもは社会が育てるのでしょうか。もちろん子どもの成長段階で、学校や地域社会、そして広く国際的な視野まで俯瞰した社会の力なども必要になっていることは論をまちません。しかし、あくまでも子どもの養育、教育、そして権利保護に対して第一義的に責任を有する主体は、父母や法定保護者であります。この点の表記が非常に曖昧な条例は認めるわけにいきません。
 2点目は、休息する権利は、子どもの判断で学校を休むことにつながるおそれがあることです。条約31条では、休息及び余暇は、遊び、レクリエーション活動、文化的な生活及び芸術に自由に参加する権利と規定しています。子どもの自由意思で学校を休むことではありません。
 しかし条例には休息する権利に、子どもの意思で学校を休むことが含まれています。確かに条例素案では、「子どもは、休息を必要とする場合に、自分の意思で学校、その他の活動を休み」との記載から、学校の文字は消え、育ち学ぶ施設と書き換えられました。しかし、条例2条(5)の言葉の定義で、育ち学ぶ施設は、市内にある学校教育法に定める学校が含まれています。学校は消えたのではなく、巧妙にオブラートに包まれたにすぎません。
 子どもの意思で学校を休むことの実行適用について、文教委員会での執行部答弁を聞いていても非常に曖昧模糊としており、到底納得できません。子どもを学校に通わせる家庭も子どもを受け入れる学校も、困惑、混乱することが容易に想像できます。子どもの意思で学校を休むこと、この点の解釈が非常に曖昧なままで条例を認めるわけにはいきません。
 3点目は、条例が独自に予定している子どもの権利擁護委員や子どもの権利に係る相談・調査専門員についてです。
 1つ目は、児童相談所、民生・児童委員、そして人権擁護委員等、同様の役割がある既存の制度と権限、役割が重複しないのか。屋上屋を重ねることにならないのか。特に学校の先生方との関係、学校長の持つ権限を侵すことにならないのか。この点が文教委員会での執行部答弁を聞いていても非常に曖昧です。実際にやってみなければ分からないでは、学校現場が困惑、混乱するおそれがあり、現時点で条例を認めるわけにはいきません。
 2つ目は、条例では子どもの対象者は市内在住・在学であり、対象施設は市内にある児童福祉施設、学校であります。市外の学校に通う子どものSOSに実効性を持って対処できるのか。文教委員会での執行部答弁では、協力を要請していく、連携していくとのことでした。困っている子どもたちのためにという、その心意気、思いは十分に伝わってき、理解をしております。しかし、条例は法規範を定め、法的拘束力を持たせるものであります。明確な上位法がない武蔵野市の条例に規定されただけ、つまり法的権限も制度的担保もない子どもの権利擁護委員や子どもの権利に係る相談・調査専門員が、市外の私立の学校に行って実効性のある対応ができるのか、非常に危惧しています。
 3つ目は、子どもの権利擁護委員や子どもの権利に係る相談専門員は、地方自治法による附属機関として条例設置が義務づけられております。当然のことながら、条例設置ということは議会の議決が必要でありますから、議決をする際の審議でその内容をつまびらかにすべきであります。例えば、子どもの権利について見識を有する者はどういう人を想定しているのか、擁護委員における子どもの権利擁護に関する必要な事項とは具体的に何で、どのように定めていくかなど、文教委員会での執行部答弁は、今後の検討に委ねる旨と非常に曖昧模糊としています。
 立法技術上、「市長が規則で定める」というのは理解しています。しかし白紙委任ではありません。私的諮問機関を設置することとは性格が異なります。なぜこの点にこだわるかといえば、過日、吉祥寺の自転車駐輪場問題で、規則で定められた隔地駐輪の距離が、議会が知らぬ間に100メートル以内から300メートル以内に変更されました。これは今後のまちづくりにも重要な影響を及ぼす、条例改正にも匹敵する内容だと考えます。手続上瑕疵はないのかもしれませんが、正直トラウマ状態です。地方自治法で附属機関を議会の議決が必要な条例設置することについての意味を深く受け止めてほしいと思います。
 4点目は、第24条、武蔵野市いじめ防止基本方針と武蔵野市いじめ防止関係者連絡会、第25条、武蔵野市いじめ問題対策委員会、第26条、武蔵野市いじめ問題調査委員会は、別立ての条例にするべきだと考えます。
 理由は2つです。1つは、条例24、25、26条のみが、明確ないじめ防止対策推進法という根拠上位法があることです。2点目は、条例全体が18歳未満の児童を対象としているのに、条例の24、25、26条だけが、市立の小学校、中学校に通う児童生徒のみが対象であることであります。
 立法技術上、瑕疵はないのかもしれませんが、あえて子どもの権利条例に内包させるべきなのでしょうか。集合論的図形で見ると、子どもの最善の権利を守るとの理念を包摂させているから問題がないとの見解のようですが、非常に違和感を感じております。
 以上、述べさせていただき、条例に対する反対の討論とさせていただきます。
             (21番 本間まさよ君 登壇)(拍手)

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