令和5年第1回定例会

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大野あつ子
大野あつ子
市議会公明党現職

映像ID: 2430

5163◯3 番(大野あつ子君)  それでは、議案第6号 武蔵野市子どもの権利条例に賛成の討論をいたします。
 1月30日の衆院予算委員会基本的質疑で公明党の高木陽介政務調査会長は、児童手当の歴史について触れています。1967年(昭和42年)、東京都武蔵野市、岩手県久慈市でスタートし、当時の武蔵野市の児童手当は、第4子に月1,000円の給付であったことを紹介しています。
 このように、武蔵野市は後藤市長の提案で、全国初の児童手当を市独自予算で始めています。ほかにも昭和47年のジャンボリー、平成8年、セカンドスクール、そしてあそべえなど、本市独自の子どもたちのことを応援する取組が多数あります。
 また、本条例の基となっている子どもプランの歴史をひもときますと、土屋市長の時代に、「子育ては楽し」委員会提言(平成11年3月)と、武蔵野市地域児童育成基本計画(平成12年3月)に基づき、第三期長期計画・第二次調整計画の実施計画として、平成12年12月に子育てプラン武蔵野として策定されました。その基本理念には、子どもが本来持っている生きる力を信頼し、発達段階に応じた子どものニーズを最も重視します。子どもが人間として尊重され、一人一人がその個性と可能性を十分に発揮し、真に自立して、責任ある家庭人、地域人、市民、国民、地球人として育っていくための基盤づくりをライフステージごとに進めますとあります。
 まさに憲法で保障されている子どもの基本的人権を尊重し、子どもを守っていこう、十分な支援をしていこうという考えが、脈々と代々の市長にあったのではないかと考えます。その集大成として、子どもプランに書くにとどまらず、大事なことだから条例化を目指したと考えます。
 本条例第8条、保護者の役割について、文教委員会で提出した修正案は残念ながら賛成少数で否決されましたが、子どもの権利に関する条例検討委員会報告書にある、「保護者は、子どもの主たる養育者であり」という文言があったほうが分かりやすいと考えます。
 また、第五次子どもプランの基本理念や子どもの権利条約、こども基本法との整合性を図る意味でも、父母、その他の保護者が第一義的責任を有するということは、条例において示すことが適切であるという考えは変わりませんが、質疑の中で、市が考える保護者の役割とは、こども基本法第3条第5項にあるとおりのものであるとのことであり、子どもの養育については、家庭を基本として行われ、父母その他の保護者が第一義的責任を有するとの認識の下、これらの者に対して子どもの養育に関し十分な支援を行うとともに、家庭での養育が困難な子どもにはできる限り家庭と同様の養育環境を確保することにより、子どもが心身ともに健やかに育成されるようにすることと、また子どもの権利条約第18条の意図するところは同意であるとの答弁をいただきましたこと、また、第1条に「児童の権利に関する条約、日本国憲法その他関係する法令などに基づいて」という文言が入っておりますので、これでよしといたします。
 保護者の役割の重要性については、保護者が子どもたちの安全地帯にぜひなっていただきたいという思いを込めて、以下、お話をさせていただきます。
 東日本大震災後、被災地で子どもたちの支援に当たられている精神科医の渡辺久子氏のセミナーに何度か参加をさせていただき、その中で語られていたのが、イギリスの精神科医であるジョン・ボウルビィによって確立された愛着理論です。子どもと養育者の間の情緒的なつながりを、愛着、アタッチメントと呼び、多くの研究者が研究し、乳幼児期の愛着形成の重要性が明らかになっています。子どもの頃十分な愛着形成ができなかった場合、他者との新たな愛着の形成が苦手になってしまうと言われています。それをボウルビィは、唯一の人物に自己の愛着を向ける機会がなければ、人を愛せない性格がつくられると著書の中で述べています。
 近年、児童虐待や育児放棄が社会問題となっていますが、その虐待親自身が子ども時代十分な愛着形成ができなかったことから、自分の子どもに対しても愛着形成ができないという、負の連鎖が起こってしまっていると考えます。これらを断ち切るためにも、子どもも保護者も双方が満足し、楽しく過ごせるよう、社会保障を充実していかなければならない、特にWHOが言う最初の1,000日に十分な予算措置をして、保護者と子どもを守っていくべきと考えます。
 条文にあるとおり、子どもが保護者から子どもの人格と尊厳を尊重され、大切な存在として受け入れられ、愛され、育つことが大変大事であり、そこを支援するための社会保障、子育て支援を充実させ、子どもも保護者も幸せになれるよう、社会全体で支えていくことが重要であると考えます。社会で支援することを殊さらに強調してしまうことは、誤解を生んでしまうのではないかと危惧しております。
 令和元年第4回定例会において、壮絶な児童虐待の痛みを写真という形で可視化した「Internal Notebook」という写真集を紹介し、子どもの人権を守る条例を設置すべきではないかということを言わせていただきました。あれから3年たちますが、子どもが死に至るような児童虐待のニュースが繰り返されております。また武蔵野市においても全国においても、不登校の子どもたちは増え続けています。
 さらに昨年1年間で自殺した小・中学生や高校生は、暫定値で512人で過去最高となったという報道もありました。コロナ禍において、保護者の収入が減ったり、家庭が孤立したりと、子どもを取り巻く環境はさらに深刻になっていると考えざるを得ません。しかし頼りの児童相談所も一時保護施設もいっぱいの状況で、十分な対応ができるかは心配であります。東京都は児童相談所を4か所から7か所に増やす計画を示していますが、人材確保など、施設を造ったからすぐにフル稼働できるわけではないように見えます。
 そういう中で子どもを守るためには、基礎自治体の役割は大きいと考えます。保育園や学校、母子面接などを通して、早い段階で危険を察知し、支援につなげる細やかさこそ、基礎自治体に求められているものではないでしょうか。一日も早く武蔵野市子どもの権利条例を設置し、この条例を根拠として、子どもたちを人権侵害から守ってくれることを強く望みます。
 それから、いじめ防止対策推進法を根拠とする第24条から26条について、設置を急ぎ、いじめ防止対策を進めたいというお気持ちは理解するところで、よしとしますが、この部分だけが武蔵野市立小・中学校の話になってしまい、質疑の中でも申し上げましたとおり、私学の子どもたちはどうなるのか、武蔵野市教育委員会でどこまで対応できるのか、疑問視する声もあります。また、子どもの権利条例全体はゼロ歳から18歳の子どもたち全体について示されているもので、この部分だけが市立小・中学校を中心に考えたものになることは、条例を分かりにくくしてしまうのではないかと考えます。早期にいじめ防止対策推進条例の設置を強く要望し、賛成の討論といたします。

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