
深沢達也
映像ID: 2491
5772◯26番(深沢達也君) 本案は、武蔵野公会堂改修等工事の設計事業者の選定に係る審査を行う附属機関として、地方自治法138条に基づき、そのための委員会を設置するというものであります。待望のバリアフリー実現を含めた武蔵野公会堂の時宜にかなったリニューアルが、法案の執行によって着実に執行されることを求め、委員長報告に賛成の討論をいたします。
ついては、今後のあるべき展開を期し、以下3点、申し添えたいと思います。
1つは、本施設の歴史から学ぶ点であります。昭和39年の竣工から60年、よくもちました。武蔵野百年史によれば、これを造ろうと決めたのが昭和15年、つまり日米開戦の前年であります。ですから、戦争を挟んで昭和39年の竣工まで、24年かかっています。当時、市民の文化への希求、また市民が寄り添うための施設建設への強い期待と熱意の下、取組が始まった。当初まちの真ん中がいいだろうとして、旧中央図書館のあった場所、つまり今の保健センターの北側にという話があったが、市を挙げた議論の中で、今の場所に決まったと。
ここに特記すべきは、全市域の町会が翌昭和16年から毎年積立てをし、終戦後も積立てを続けてきたと記録にあります。これであります。戦後のインフレで価値が下がったにしても、これが元手となり、昭和39年に完成しました。顧みれば、日米開戦前年から数えて24年、付帯工事を含め、建築工事費1億6,251万円を投じ、造り上げた。結果、60年の風雪に耐え、市民の文化、教育、市民活動のよりどころとなってきました。歳月も予算もかけたわけでありますが、私はここに、武蔵野市民の自治の成果、スピリッツが籠もっていると考えます。この歴史と魂とは、目に見えない継承すべき財産であると考える。これが1点目。
2つ目は、公会堂の建つ、この地域の大きな特徴が、井の頭恩賜公園の存在であります。遡る400年前、ここに見いだされた泉、後にお茶の水と呼ばれるわけでありますが、これが、当時の江戸町民の生活を支える源泉となり、七井の池にその影を宿す弁財天は、多くの市民大衆がここに詣で、北斎、広重の絵ともなり、今なお豊かな水と緑に囲まれ、憩いと楽しみの場、出会いのある観光拠点となっています。ウエルビーイングを実感する世界を形成していると言える。
武蔵野公会堂は、この世界を大きく包み込んだところのパークエリアの要の地に建っています。したがって、この施設の未来の姿をどうするかは、吉祥寺駅南口、つまりパークエリアのまちづくりと切り離せない課題であり、市を挙げての議論と、短期、中期、長期の市民協働の取組、市による引き続いての安心・安全対策が必須であるとともに、内外から愛される、この歴史遺産の魅力を最善に生かす、後世の評価に耐え得るまちづくりが待望されるところと考えます。
ちなみに南北一体のまちづくりという長年の悲願を遂げた武蔵境駅周辺地域では、懸案であった北口が今の姿になるまで、当該地区市街地再開発計画試案発表から39年かかっています。ローマは一日にして成らず、Roma non fu fatta in un giornoであります。これが2点目。
最後の3つ目。図らずも本年は、三多摩が東京都に移管され130年ということであります。この武蔵野市から西が三多摩であり、吉祥寺駅は言わばその玄関口であります。23区と違う世界が三多摩の魅力であり、言葉に集約すれば田園都市であると思います。武蔵野市の魅力は、つまるところこの言葉にふさわしいまちの姿を営々としてつくり上げてきたところと思います。水と緑に囲まれ、学園があり、歴史があり、市民文化の薫り高いまち、人口は15万人弱。世界を見渡したとき、ドイツのハイデルベルク、英国・ケンブリッジが、この武蔵野市の姿に実によく似ています。ともに生活するに落ち着いたまちであると同時に、内外から人の訪れるまちであります。
翻って、20世紀に対する21世紀というのは、量から質、つまりクオリティを問う時代であるということ。これは今までの会派代表質問等を通じ提起してきましたが、言い方を変えれば、使い捨て文化から物を大事にする。特に価値あるもの、その価値の再生産をするという提起をしたところであります。武蔵野公会堂には、修繕、リニューアルによって長生きをしてもらい、その間に南口のまちづくりの取組を進める。ここに吉祥寺の歴史と魅力を再生産する、南口のまちづくりを象徴するような公会堂の在り方を展望したいと思います。これが3点目。
なお、総務委員会で指摘のあった本委員会委員の守秘義務については、従来から一貫してそうでありますが、これを当然の前提として委員さん各位に就任をお願いし、受けていただくものと考えます。
以上、討論といたします。