
大野あつ子
6442◯3 番(大野あつ子君) 市議会公明党の大野あつ子でございます。それでは、通告に従いまして一般質問させていただきます。
まず冒頭に、ロシア軍の侵攻によるウクライナ戦争も長期化する中で、さらに中東において、パレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム組織ハマスとイスラエル軍の戦闘が再開しており、多くの命が失われていることに深い悲しみを覚えます。即時停戦と恒久平和に向けて、国際社会が協力し、努力し続けることを強く望みます。人間同士が殺し合うという愚かな行動が起こらない未来をつくっていかなければならないと、強く思っております。
さて、武蔵野市におきましては、市長交代という大きな節目を迎えており、改めて本市の市民自治について考えてみました。
初めに、第六期長期計画にございます長期計画そのもののところを引用させていただきます。これまでの歩みとして、「本市は、昭和46(1971)年の最初の「基本構想・長期計画」から、市民参加・議員参加・職員参加による「武蔵野市方式」と呼ばれる計画策定に取り組み、これまで約半世紀にわたり、「市民自治」を原則として、長期計画に基づく計画的な市政運営を推進してきた。市民自治とは、市民が主体となって自らの住むまちを築き運営していくという考え方である」。
半世紀にわたって、5代にわたる市長と職員の皆様が、長期計画を市民参加の最上位計画として引き継いでこられたことに、尊敬と感謝の意を表します。自治基本条例ができたのは令和2年ですが、既に半世紀前から武蔵野市は最先端の市民自治に挑戦していたのだと考えます。これを踏まえ、長期計画と武蔵野市保健センター増築及び複合施設整備について疑問を持っているので、ここに整理をしておきます。
現在は、第六期長期計画の実行計画の後半という時期に当たります。その六長には59ページに、保健センターについては大規模改修を行うとあり、子育て関連施設については61ページに、子どもと子育て家庭への支援に関する新たな複合施設の必要性について検討を行うという記載となっております。旧中央図書館跡地については策定中に全員協議会でお伺いをしましたが、まだ書けるような具体的な姿が見つかっていないというお答えをいただいておりました。
しかし、第六期長期計画・調整計画の議論を待たず、策定委員会の皆様との議論で掘り下げることのないまま、保健センター増築による、現在の2倍の大きさの複合施設の計画が走り出しています。もちろん常任委員会において行政報告を受け、議会とのやり取りはございました。しかし、この令和3年3月以降の一連の動きから受けた印象は、行政側の都合を優先してしまったのではないかというものです。もちろん市民代表としての議会に説明し、パブリックコメントや市民説明など、市民意見を聞いているではないかというお答えが返ってくるのかもしれませんが、武蔵野市方式からずれてしまったのではないでしょうか。そこが私の心配です。
市が市役所の論理だけで動いてしまうというのは、市民自治の後退ではないでしょうか。市民の実生活から離れてしまっては、市民参加、市民自治ということを推進することはできないのではないでしょうか。自治基本条例を策定し、また住民投票制度の検討が進められておりながら、市民自治の原則にのっとった長期計画の議論にのせないで、新しい数十億円の施設を建設するということは、大きな自己矛盾ではないでしょうか。
この質問をするに当たり、西尾 勝先生の「自治・分権再考」を読み返しております。この第1項には、自治の本分を尽くすということが書かれており、本分をわきまえ、本分を守り、本分を尽くすということが地方自治においても要諦ではないかと言われております。出過ぎるのではなく、引っ込み過ぎるのでもない、本分を尽くすというお言葉は、深く胸に刻み込んだ言葉であります。
また、まちづくりについては、まちづくりは市区町村の役所、役場が行うものという固定概念を捨てて、まちづくりはまちぐるみで行うもの、そうでなければ決して成功しないものというように、発想を改めるべきであるとの内容が書かれてあります。
そしてその章の最後には、役場の横の連携を綿密に、さらに難しい部分には外部の多方面の人材を活用すべきで、市区町村職員はコミュニティオーガナイザーたれと締めくくられています。これがまさに外部有識者による策定委員会を設置して、市の根幹となる長期計画を基本としたまちづくりを進めてきた、武蔵野市の姿そのものであると考えます。その住民目線から実現したムーバスなど、本市独自の事業も幾つかあり、市から国を動かすという先駆を進んできたのではないかと考えます。
市民自治のまちづくりは、手間がかかるけれども、やりがいがある仕事だと思います。長期計画を根本に市民自治の武蔵野市を今後につなげるという思いで、以下質問いたします。
大きな質問の1つ目、長期計画について。
1の1、市長交代に伴う長期計画のローリングについて。現市長の任期途中の急な辞職により、12月24日、市長選挙が行われ、新市長が誕生する。長期計画・調整計画の策定期間の最終段階で市長選挙が行われることとなります。市長は公約を掲げ選挙に立候補し、市民の負託を受けて当選したからには、公約を実現し、負託に応えることは、政治家として市民との約束を果たすことであり、大切なことであると考えます。しかし、選挙によって市長交代が起こる場合も考えられ、市長が最初から策定に加わることができないローリングのタイミングでよいのでしょうか。長期計画のローリングを検討すべきではないかと考えますが、お考えを伺います。
多分見えないと思いますが、こういう形で最初はずっと一致していたものが、市長の交代によって、ずれてきているということを指摘しております。
1の2、市議会議員選挙と長期計画のローリングについて。昭和46年より綿々と続いてきた本市の長期計画の歴史を振り返りますと、最初は市長選挙と市議会議員選挙が同じタイミングであったので、策定期間は市政選挙に合わせたものでした。平成17年に現職であった土屋市長が辞職し、市長選挙がずれたときに、邑上市長は、第四期長期計画・調整計画の策定時期を1年前倒しし、在任中に第四期長期計画・調整計画の実行が始まるよう、ローリング時期を調整しています。
これで市長選挙の課題はクリアしていますが、このことにより、市議会議員選挙と策定期間のタイミングがずれ、策定期間の途中で市議会議員選挙が行われるようになりました。今回の第六期長期計画・調整計画においても、議員との意見交換は2023年2月と10月に行われましたが、その間の4月に市議の改選がありましたので、新人で当選された方にとっては、最終段階で議論に加わったということになっております。くしくも今回市長辞職により、同じ年度内に市議会議員選挙と市長選挙が行われることになったので、長期計画のローリングのタイミングを見直してはどうかと考えますが、いかがでしょうか。
1の3、そもそも武蔵野市長期計画条例第3条には、「市長は、市長選挙が行われたとき又は市政をめぐる情勢に大きな変化があったときは、実行計画の見直しを行い、新たな実行計画を策定するものとする」とありますので、市長の交代というのは、長期計画実行計画、現在で言えば第七期長期計画を前倒して策定できると考えてよいのでしょうか、御見解を伺います。
1の4、これまで何度か、長期計画策定委員の皆様との意見交換の機会をいただきました。議員や行政職員でない立場の皆様との意見交換は大変に学びが多く、計画のブラッシュアップにつながっていると感じております。市民参加、そして外部の策定委員による議論は、議員や行政職員が見過ごしていることを気づかせてくれる、大変貴重な機会だと考えます。故西尾先生が残してくださった、この武蔵野市方式による長期計画が本市の最上位計画であるということは、市政の最上位に市民意見があるということだと思っております。
だからこそ自分の力不足を感じておりますのが、この保健センター増築及び複合施設整備の件です。平成29年2月に第1期公共施設等総合管理計画が策定された後、第2期公共施設等総合管理計画策定の折に、長期計画と同じタイミングで検討を始めては総合管理計画の内容を長期計画に反映できないことから、長期計画の策定期間の前に分野横断的検討プロジェクトが始まりました。本来は、これを受けた第2期公共施設等総合管理計画の下に第六期長期計画・調整計画が策定されるわけですが、保健センターに関しては雨漏りなどがあり、早急に対応が必要であるとのことで、長期計画の議論を待たず、所管の委員会に行政報告をしながら計画が進められております。
この最初の分野横断的検討プロジェクトは、本市に大きなインパクトを与える内容であったにもかかわらず、長期計画の議論の前に結論が出る形となってしまいました。このような重要なことこそ、長期計画の策定委員会の中で十分な議論をすべきだったのではないかということが心に引っかかっております。この反省に立ち、今後に備えるために、以下伺います。
令和2年から令和3年に行われた分野横断的検討プロジェクトの内容は、さきの武蔵野市長期計画条例第3条の「大きな変化」ではなかったのか伺います。
この条例における「市政をめぐる情勢に大きな変化があったとき」とは、どのようなときを想定されているのか伺います。
次に、大きな質問の2つ目、市民自治の推進について。
日本国憲法は第8章に地方自治の規定を置いており、これは明治憲法にはなかったものであり、このことは戦後日本の国家構造として地方自治を重視したことを表しているのだと書物には書いてありました。第92条「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める」とありますが、さきの西尾先生の「自治・分権再考」においては、この条文からは地方自治の本旨が抽象的文言であるため、国会による集権的な立法に対する有効な歯止めになっていないので、地方自治の本旨を具体化していく必要があるということが、地方分権改革の残された課題の一つとして指摘されております。
「国会の立法権と地方自治において」というこちらの本にもう少し詳しく書いてありまして、日本国憲法はGHQと日本がつくっておりましたので、もともと英文と日本文が併記されております。その日本文と英文を照らし合わせてみると、国と地方公共団体というのはどちらもガバメントとされていることから、国民は初めから、国と地方公共団体という2つの種類の政府をガバメントとして設けたということであり、中央政府が地方公共団体を勝手になくしたりコントロールしたりすることはできない、だからこそ憲法に地方自治の章が設けられている。ではその制約はどこまでなのかというところが、憲法には具体的に書かれていないというような内容が書いてあります。
大変興味深い内容ですが、それはそれといたしまして、通説としてこの地方自治の本旨というところで言われるのが、団体自治の側面と住民自治の側面があり、西尾先生はさきの著書の中で、地方自治においては住民自治の側面の充実こそが最も重要であると述べられております。直接民主制的市民参加が活発であるほど、地方自治にとっては望ましい姿であるということです。
ここで本市の自治基本条例第19条の規定に基づく住民投票制度について考えますと、そもそもの目的は、自治基本条例の第1条にあるとおり、市民自治の一層の推進であると考えます。その目的に賛同したので自治基本条例に賛成させていただきました。しかし、令和3年、住民投票条例案が明らかになったところで、市内に大きな混乱が起こりました。先輩から教えられた地方自治の本旨というところでは、市民の生命と財産を守り、市民福祉の向上を図るという、そのとおりだと考えております。そこから考えると、武蔵野市がイデオロギー対立の戦場となることは全く望まないことであります。
さきの質問でも取り上げた武蔵野市方式による長期計画の策定は、平穏な中で市民自治を推進してきたと考えます。そこにさらに市民自治、市民参加の手法を増やすというのが、この自治基本条例で住民投票を記載した目的であると考えます。市民が自治体政府を制御するツールとして、住民投票制度が自治基本条例に組み込まれてきた歴史があるのだと考えますが、私たちが令和3年に経験した混乱は、近年猛烈なスピードで進んでいるネット社会の拡大や、それを利用したポピュリズムの台頭の結果ではなかったでしょうか。
私たちが大切にしなくてはならないことは、市民が安心して暮らせる環境を守ることだと思います。理想的な住民投票制度が確立できたとしても、それを使用するたびに市内に大混乱が起きるとしたら、使い物にならない無用の長物となってしまいます。現実の社会の中で市民が安心して使える制度でなくてはならないということを大前提に検討を進めていただきたい。
令和3年以降、まちの様子を振り返りますと、市長が少しでも住民投票という言葉を発しただけで、過剰なほどの反応がありました。それらを織り込んだ上で考えていかなければならないのではないか。私も市民自治を進めたいという気持ちは同じでありますが、それは市民の安全を確保した上で成り立つものだと考えております。そこで以下質問をいたします。
2の1、市民の平穏な生活を守りながら、さらなる住民参加を進める手法を広く考えるべきではないかと考えますが、御見解を伺います。
2の2、西尾 勝先生編集の「自治体デモクラシー改革」において、住民投票の長短所について記載されており、住民が直接意思を表明できる反面、投票結果次第では住民間に亀裂が入り、しこりが残ることなどを挙げられており、そして終わりに、住民投票制度が発展してきた理由としては、しばしば指摘されているのが代表民主制の機能不全だと記されております。市民の気持ちと議会や行政が遊離することがない住民自治の実現こそが望まれていると感じております。
現在、住民投票制度の論点整理がなされておりますが、その次の段階として、住民投票制度を制定した場合のデメリットについても整理していただき、メリット、デメリットが出そろったところで市民の皆様との意見交換をし、市民の皆様が賛同していただける市民自治の推進の道を考えてまいりたいと思いますが、御見解を伺います。
2の3、11月閉会中の総務委員会において、住民投票制度は、邑上市長、松下市長が推進してこられた政策で、市長交代により推進力が弱まるのではないかとの質問に対して、自治基本条例第19条の規定に基づく執行が未執行である部分を執行するために、懇談会において論点整理をしているので、市長交代の影響はない旨の答弁をいただきました。
市長が代わっても行政が粛々と計画を進めていくことはよいことだと思いますが、住民投票制度というのは、ほかの行政計画よりも一層市民側に寄り添うものであると考えます。自治基本条例の執行が大事なのではなく、自治基本条例があることで市民福祉の向上が図られることが第一であると考えます。市民の幸せを第一に、住民投票制度について検討を進めていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
以上、壇上からの質問とさせていただきます。御答弁よろしくお願いいたします。