18927【深沢委員】 また時代的認識も含めて、福祉公社についてお聞きをしたいと思うのですが、私は昭和58年、初当選させていただいた。そのときは、もう既に武蔵野は福祉のまちだと、もうさんざん言われていました。それがどこから由来するのかと、どんなふうに思われますか。もちろんその当時、一緒に当選した市長は土屋さんですが、その前の3代の藤元さん、その前の2代の後藤さんと、荒井さんもそうだったと思うのだけど、この時代、昭和40年代ぐらいからずっとそういう素地があった。児童福祉手当を初の政策化、自治体でするとか、国に先駆けるという意味では、福祉の部門で既にそういう素地があった中に、55年にこの福祉公社ができたと。
ここから先は質問になる。市長はどんなふうに、まだ当時、議員になられる前だったと思いますが、(「昔過ぎて分からない」と呼ぶ者あり)もう福祉のまちだと。今はもう恐らくあまりそういうのを声高に言われるという感じはないけども、でもそういうふうに思われているだろうと思うのです。
実は、この福祉公社ができたのが昭和55年です。だから私が当選したときは3年後だったのです。当時、その後、福祉部長になった山本さんが初代で、創設時に汗をかかれておられました。ちょうどあれです、さっきシルバー人材センターの話が出ましたが、中町コミセンのすぐそばの、今は何も使っていないですけど、あそこのプレハブの中に、福祉公社と、それから高齢者事業団ですね、シルバー人材センターの前身。それと社協、当時は「市民」がまだつかなかった。それとボランティアセンター武蔵野が一体でそこに、1階、2階を使っていた。私は何度も、議員になる前にも行っているのですけども、そこからスタートしているのです。
それがずっと、大信にその後移って、そこからまた今になるわけですけど、その間で1回、これ、福祉公社がなくなるのではないかという危機の時代があったのを皆さん覚えていると思いますが、なくなるというより、市民社協と合併するというのが、ちょうど時期的には介護保険法施行後の2006年に、そういう方針が1回出て、議会はたしかあのとき全部で、全員でそれに反対をした。当時私もそこの席だったのですが、かなり抗議的質問をさせてもらって、それが残ることになって、その後、大信からどっちへ移転しようかという、そういう流れにたしかなってきているのですが、という変遷の中で今来ていると。
ここから先は評価をさせていただきたいのですけど、特にリバースモーゲージが一番売りだったわけですが、それが民間でやったからというのが合併をするのだというときの一つの背景にあったと思うのだけども、今や時代の変化の中で、とりわけ今は成年後見利用支援、かなりの人がこれを利用されていると。あえて数字は、今ここでは確認しませんけどということなどからして、時代の変化に伴って福祉をそこで発現、つまりセーフティネットをそこでしっかりやっているというふうに私は見ているのです。
というのが、ざっと私のこの間の認識なのですが、それに基づいて、さあこれからまた時代が変わるからどうなっていくかというのが、またこれはこれで展望というのは考えなければいけないけれども、現時点では十分存在意義があると、単独であってということです。この私の認識でよろしいのかどうか、これは見方はそれぞれあると思いますが、その点をちょっと確認しておきたいというのが1点です。
それからもう1点は、私はもう昔から思っていたけど、福祉というのは、ただ単に制度があればいいというものではないと、福祉の心がなければ全体像にならないだろうというのが、時々議会でもそういう発言をさせてもらっていますが、昭和56年に──56年というのは福祉公社ができた翌年に──武蔵野市議会で福祉都市宣言を議決しているわけでありまして、その冒頭文が、人間愛に基づく連帯と活力あふれる福祉のまちづくりと、こういうのが冒頭うたわれているわけです。この人間愛、つまり今の問題で言えば福祉の心という立場から、現在の福祉公社の皆さんの全体像を見ると、私、結構しょっちゅう行くのですけども、非常に、もちろん職場にも活気があるというふうに見えますし、私もいろいろな形で利用者の声を聞いたり、自分自身がちょっと相談で行ったりというのがありますが、やはりしっかりやってくれているなというふうに、実は私、そう思っているのですよ、それは。
これが私の認識なのですけども、つまり、制度として、時代が変わって、それぞれ適応しながら、制度を改変したり、新規に立てたりいろいろやっていつつ、同時に、福祉で一番大事な人間愛的な部分というか、福祉の心というのがきちんと伴っているというふうに、これはちょっとよく言い過ぎかもしれないけど、そういうふうに見える。この2つ、この点で、一時問題となった合併ではなく、やはり単独であってよかったなというふうに思っているのです。この点についての認識をお聞きしたいということです。