22074【木崎委員】 平和施策のあり方懇談会でも、今、部長がおっしゃっていたとおりのことで、平和の定義、狭義と広義ということで書かれていました。戦争は、先ほど私が申し上げたとおり、国対国だけではなくて、今現在これを戦争と呼ぶのかどうかというのもあれですけども、イスラエルで行われている状態になっている、あれを戦争状態と呼ぶべきではないかというような思いもあるガザ地区でのハマスですか、武装勢力というのか自治なのか、ちょっとその辺が私も定義としてどうすればいいのかというのがありますけども、そういうのだって、あれは内戦ですと言い切れないのではないかなとか、またそれ以外でも起こってしまうような、いわゆる2001年9月11日に起こったアメリカの同時多発テロ、これもテロだとは言っているけれど、もう武力、全世界をと言っていいぐらいの、巻き込んだ戦闘を繰り広げている。こういうことがいろいろなところで起こっているということを考えると、要は戦争がないから平和なのだというような単純なベクトルではないのではないかなというのを感じます。
それで、平和と言われたときに、戦争がないだけではなくて、ここにも書いてある広義で言えば、多文化の共生であったり、国際理解を深めるというようなことであったりというふうに考えたときに、本当に今武蔵野でやっている、とても大切だとは思います。過去の戦争について日本がどういうふうにしてどうやってきたか、それを省みて、私たちは戦争はもうしないようにしようよという決意を新たにすることは大切ですけど、では、今この日本は平和なのですかというふうに言われたときに、絶対平和なのだと言い切れる人がどれだけいるのだろうとなったときに、私は思い浮かべたことが1つあります。
実際には1998年に、この武蔵野市議会に、拉致の早期救出を求める陳情が出ていたはずです。これには拉致被害者の家族の方から陳情が出たというような場所が、ここの議会にあります。そこから様々なことを考えていったときに、人権侵害どころか犯罪を犯している国がすぐそばにあって、それはもう既に認めていることなのに、北朝鮮に拉致された方々はまだ戻ってきていないです。これで日本は平和です、だから過去に学びましょうだけではなくて、そういうのであれば、この平和施策の中で、憲法という啓発事業の中でも、こういう北朝鮮に拉致された日本人のことについて講演をするだとかというのも一つの平和憲法の啓発事業になるのではないかというふうに私は考えますが、御見解をいただきたいと思います。