
道場ひでのり
映像ID: 2421
207【道場委員】 私はいろいろ考えました。子どもの最善の利益って何だろうなと。それで思い出したのです。タマネギとかニンジンです。おいしい肉は幾らでも子どもの頃は食べたのだけど、親が一生懸命ニンジンやタマネギをみじん切りにして、僕に食べさせていたのです。僕はぺっぺっと出していたのだけど。結局親は一生懸命、子どもが健康で大きくなってほしいから、嫌でも食べさせるわけではないですか。だから最善の利益というのは、子どもたちはある意味、経験も少ないから、判断能力だってまだ低いから、やはり一時的な拒否をするではないですか。苦いものは嫌だとか。
一番典型的なのは薬です。風邪を引いて、薬を飲めば治るのだけど、でも子どもはぺっと出します。だからそんなものかなと思ったのです。例えば注射だってそうかもしれない。病気を治すために。痛いから、子どもは嫌だ、嫌だと泣きます。だけど親は治したい。親は別に子どもに注射を打っていじめるわけでも何でもないではないですか。だからこういうものかなと僕は思うのです。簡単に考えると、子どもが一義的には拒否するけれども、親はその子の将来や未来を考えて、今我慢してでもよくするためにやる。
私が思う、非常に分かりやすい、自分の頭の中にかみ砕いて入れたときに、子どもの最善の利益とは、ニンジンやタマネギ、それこそ薬や注射、もしくは例えば私なんかスポーツをやっていますからあれなのですけど、練習もそうです。強くなるために、やはり限界まで体を追い込むわけです。だけど嫌ですよね、5キロも10キロも走ってこいと言われたら。だけどそれをやるのが、やはり例えばそのことでいうと指導者だったりするわけです。そして一つ一つ積み上げていって、能力が上がっていって、強い体、そして鋭い技術がついて、試合とかでも勝てるようになっていく。
私が思うのは、子どもの最善の利益というのは、いわゆる一時的な、瞬間的なことではなくて、親のような──親のようなと言ったら語弊もありますけど、周りのいろいろな社会経験のあるような人たちが、その子の将来や未来のために、今しっかりやればきちんと返ってくると、そういうものが子どもの最善の利益だと思うのですが、いかがでしょうか。私の考えは間違っていますか、ちょっと確認してください。