
深沢達也
映像ID: 2532
9120【深沢委員】 そういうことかと思います。とにかくやれる限り、こういった悪化の要因をなくしていくということは、ぜひ今後とも共に取り組んでいきたい。
最後に、今もお話の出た、いわゆる警察、刑法の取締りというところがキーポイントかなと。したがって、市は常に警察との連携というのは当然、日々の課題としてあると思いますが、とりわけ緊密な関係というものが、急場、急場で必要になってくるということかと思うのです。
多くの方が御存じと思うけれども、三鷹の北口が戦後、約8年ぐらい、地図に赤い線が引かれていたわけである。つまり特飲街、特殊飲食街。つまりそれまでは、いわゆる古い言葉で言う遊郭というのが、場所を決めて公認されていた。それが戦後廃止される中で、いろいろな青線が出たりとかとあるのだけど、それが廃止されるまでの時代に、武蔵野にも一時期あったわけです。これは、三鷹だけではなくて、私は一通り全部その歴史を調べたけど、こういう本にも載っているわけです。京都で言えば島原とかがある。
ところが今、そういう雰囲気ではないです。もちろんその当時あった雰囲気を現代的に、いい形に生かして、むしろ楽しい、個性的なまちづくりがされている。ただ、全体は三鷹北口は落ち着いていて、ある意味地味な感じもするけれども、吉祥寺とはまた違った、落ち着きのあるまちになっている。つまりかつてはそういう時代があった。ところが、ちょうどその頃マッカーサーが来て、警察を市が持てるようになったわけだ。つまり国家権力というか、中央に権力を集中させると、また軍国主義に戻ってしまうというようなことで、占領軍が私警察を許さない、分権、その時代が一時期あったわけです。
その場所を調べた。これは百年史にも載っているけれども、今の警察よりもちょっと東側に寄った、検察庁のところのあの辺りです。それがそうたたない後に、今の警察署のところ、今は東京都の所管になっていますが、あの場所の一角に来た。これは百年史に書いてあるのだけど。つまり今申し上げた特飲街と警察とは、もうすぐそばなのだ。だからそういう中で、少なくとも私はあそこで何か大きな事件があったとかは。それなりに小さい事件はあったのかもしれないけれども、少なくとも今は本当に平和裏で、ある意味地味だけれども、落ち着きのあるまちになっている。
したがって、事ほどさように、当時は市の条例で取締りができたわけです。当時はです。それがなぜなくなったかというと、やはりお金が続かない。つまり警察官を市で雇用する形になるわけで。そういうふうに歴史書では出ています。ですから、やはりそういう実際に取り締まる機関と市がその権限を持っていたという時代が、一時期あったのだ。今はそうではないわけだ。だから我々が汗をかくわけだ。
なおかつ憲法では財産権があり、職業選択の自由があり、基本的人権というのがあるから、もう議会事務局のあそこに今も貼ってあると思うけど、役所へ入るとまず憲法からです。我々も立法機関である限りは、前提が憲法だから、これはやはり守っていかなければいけない。ということは、そういう考え方で基本やってきているのです。
ただ昭和58年以降の市政の流れを見ると、当時の市長の土屋さんというのは非常にああいう人ですから、法律の枠にないサービスを生み出していったわけだ。それがムーバスであり。では彼は超法規でやったかというと、全然そうではない。法は法でがっちりと守りながら、法体系にないものを新たなサービスとして生み出していったということなのです。
そういう考え方から、この環境条例にしても、今度のつきまとい防止条例にしても、条例の最善、最大の機能の発揮を願うところでありますが、現に今課長さんのところで、事業者とがっちり渡り合っているわけです。それは非常によく頑張っているなと思います。ぜひその姿勢で。背景にはこれだけの声があるのだから。世論にはいろいろな声があると思います。当時の三鷹の特飲街の問題でも、昭和22年にできた武蔵野市政の中の初の市議会では、議会が一部、保守、革新関係なく割れて、いや、そういうのがあってもいいではないかという議論もあったわけです。だから世論というのは様々。
ただ大きなくくりで、吉祥寺らしい、東部地区らしいまちづくりということで、安心して歩けるとか、そういうことで進めているというのが大前提だろうと思うので、一つ、今現に、言わば闘争中とは言わないけど、条例に沿って頑張っているところなので、ぜひ挙げて頑張ってもらいたいということと、質問したい1点は、警察との連携というのはやはり、ここへ持ってきて日頃から連携はされているわけだけど、ちょっとこのことで心配な向きもあるからこういう議論になっているわけですから、密な連携を取っていただきたいと思うのだけど、この点についてお聞かせいただければ。