
深沢達也
映像ID: 2436
10462【深沢委員】 それは了解です。常設にするかしないかという議論も、それはもちろん議論としてはあるでしょうけども。したがって、その保障としてそういう制度があるということ自体は、常設的にあるというのは、何ら不自然ではないという、したがって論理的な帰結でもあり、物事の組立てとしてそう思うところです。
明治のあの維新の時代というのは、本当に探り出すといろいろ出てきます、いろいろなことが。一度代表質問で出したことがあったと思いますが、福沢諭吉さんが、「独立の気力なき者は国を思うこと深切ならず」と。深切というのは深く切ないという意味、国を愛するということです。自主自立の考えがなければ、そういう人というのは国を本当に愛せないのではないか、そういうふうに訳されるわけだけど。ただ、その福沢さんがこれを書いたのは「学問のすゝめ」です、1872年。その3年後に「文明論之概略」というのを書いている、皆さん御存じ。いきなり文明化、近代化した中でいろいろな矛盾もあったわけですけども、そこで言っているのは、ちょっと悲観的なことを言っているのです。日本は政府あってネーションなしという言い方をしている。ネーションというのは国民ということです。つまり、確かに国民はいるのだけど、みんな権力にすがってしまっていてということを、これは前後を読むとそういうふうに解釈せられるのだけど、福沢は、それでは駄目だと言っているのです。何のために日本を開いて、諸外国から、主に欧米、ヨーロッパですけど、学問や技術を入れているのは、ひとえに、一人一人が励んで、成長して、それによって経済も発展をして、国が富んでいってということから、こういった著書を著し、自らも教育やいろいろなことに関わっていったわけですが、というふうに思うのです。
ですから、当時はそうだったのでしょう、だって、260年幕藩の政治が続いたわけだから。それは蓋を開いてすぐに変わるというのは難しいです。ただ、それから150年たっているのですから。だから、この間の総務委員会でも、国とは国民のアンビシャスであるなんて格好いいこと言ったけど、私は真にそう思っているのです。だから、そのための環境整備が国民主権の制度で、三権分立で取られているわけだから、これはみんながやはり頑張って成長していくという、そういうことになっていくわけですが。というふうに考える次第でありますが、ぜひ、そういう意味からも、そういう投票制度があるというのは、学校ということは一つのトレーニングの場でもあるわけだから、そういう制度があり装置があるということは、それを機会に、またまちのことを考え、地域のことを考える、そういうことにもなるわけで、私はいいことだと思っているのです。以上が私のあれです。それは特にお答えを求める必要ないと思うので。
最後に1点、子どもの権利条例に関して、議論には今までしていなかったので、若干だけ。さっき明治天皇の話をしました。この言葉を発布したときが、御年が15歳だった。今でいう18歳に満たない。もう多くの人が御存じだと思うけど、私も中学2年のときに立志式というのが学校でありました。今も、教育長はいないですけど、つまり、子どもと大人という区分が二十歳というのは明治22年からなのだ。明治9年に兵役に関する法ができて、二十歳からと。やはり体がそれなりにできてからということなのでしょう。それに準拠した形で明治22年に二十歳となった。ところが、そこから10世紀ぐらい遡った奈良時代になると、12歳から16歳なのだ、元服というのは。男性は烏帽子、女性が、何というのかな、調べれば分かるのですけど、それがずーっと続いて、いわゆる元服といっていて、だから結婚もその年齢でできていたわけです。ですから、大人と子どもの境の、今は、令和4年から18になったわけだけど、そこはそのときの社会や国の統治の一つの手法として一定の線引きをしているということであって、だからヒューマンビーイングとしては、みんな大人も子どもも高齢者もないわけだ。だから、その1人のヒューマンビーイングを、一人一人の生存を保障し、生きがいを持って、希望を持って生きることを保障するというのは、我々のこの時代、やるべき仕事だと、そういうものの仕組みづくりをするのは、という立場なのです、私の考えは。ですから、歴史的な視点から見ていくと、そういうことがあるということを一言申し上げますが、もし御感想があったらお聞きして、なければいいです。
以上で終わります。ないからいいです。