
宮代一利
映像ID: 2518
5998◯6 番(宮代一利君) 難しい議論なのだと思います。ただ、1つこのお話の中で気になるのは、学校に行くのは子どもで、児童生徒さんであって、まず児童生徒が行きたいと思う学校であってほしい。それは、別に障害あるなしにかかわらずみんな行けるような──今なかなか行きづらい不登校とかという話も出てきたりもしている世の中において、なるべく多くの子どもたちが、児童生徒たちが行きたいと思う学校であってほしいというふうに思います。まずそれが第一だと思います。だからといって、子どもに向かって必ず行けといって大人が行かせるものでもないと思うのです。行きたいと思うことが一番大事なのではないかなというふうに思います。
これはちょっと見解というか、あれで申し上げますけど、よく一般的な話として、クラスの中で、例えば情緒不安定な子が通常級にいて、そこで走り回ったりすると授業が立ち行かなくなるだとか、それから、周りに迷惑がかかるだとかというふうな見解が出てくる場合があるということも聞いたりしているのですけど、周りの子どもたちに対して影響が出るというのはともかく、先生たちが授業がやりづらくなるという、私はそれを根拠にしてはいけないのではないか、大人の都合なのではないですかと思うのです。そこをうまく説明していってほしいなと。委員会には基準はない、総合的なというふうに言われると、それは何を示しているのかなというふうに疑問に思うところはあります。もちろん、ほぼ皆さんきちんと個別の対応をするために、それも適切な、必要な対応としてはいろいろやっている、合理的な配慮をしているのだというふうに信じていますけれども。もちろん、特別支援学校を積極的に選んでいるお子さんも、御家族もいる。特別支援学級を積極的に、うちの子は逆に、通常級に行ってしまったらパニックを起こしてしまうに違いないから、そこにいきなり入れるのではなくて、きちんと見てもらえる支援学校、支援学級のほうに行きたいというふうにして選んでいる方もたくさんいらっしゃると思うのです。だから、なかなか平行線でうまく話がまとまらないときに、どういうふうにそこを進めていくのかということにも気持ちを払っていただきたいなと、そこを見てほしいなというところがあるので、しつこくてすみません、もう1回御見解をいただきたい。
それから、日本のシステムについての疑問なのですけど、今の日本でいっているインクルーシブ教育システムというのは、インクルーシブの反対語はエクスクルーシブですよね。これは排除ですから、うちの学校には障害があって入れませんといって排除してしまうのはエクスクルーシブですけど、それはしていないと。しかしながら、特別支援学級、特別支援学校というものをつくったということは、そこにはセグリゲーションは起こっていますよね。セグリゲーションというのは分けるという意味です。通常学級でなくて、別のものがここに存在します、セグリゲーション。そのままセグったままで──ごめんなさい、セグるという言葉があるのはあるのですけど、セグリゲーションの状態のままでは、例えば昨日から地域移行、副籍交流の話が出ていますけど、うまくそっちが進まないだろうから、それをこっちの中に一緒に持ってきて統合します。そこでインテグレーションというふうになって社会が形成されるのです。ところが、セグリゲーションしてインテグレーションしている限りにおいては、本当のインクルーシブの形にはなり得ないのです。インクルーシブの形というのは、最初からこういうふうに構成員が決まっていて、その生徒たちがぽつぽつといっぱいいる中に、一人一人の障害を持っている生徒さんたちもこういうふうに入って、最初からごちゃ混ぜになっている状態が本当のインクルーシブだと思うのです。この先、セグリからインテグレーションにというふうにやっている今の日本のやり方を変えていかなければいけないのではないかというふうに私は考えています。それが本当のインクルーシブ教育につながるのではないかと思っているのですが、この考え方について、教育長の御見解を伺いたいです。