
道場ひでのり
映像ID: 2591
6382◯1 番(道場ひでのり君) 了解しました。順に確認をしていきます。
住民投票条例の質問1番のほうですが、時期的にはできるだけ早くというような話だったのですけれども、これはもっと具体的にスケジュールとしては、取りあえず今年度内で有識者懇談会のほうも一旦収束はして、何らかのプロダクツというか、つくられるもの、結果というか、出ると思うのですけども、その後の市民の熟議熟慮、このスケジューリングぐらいは少なくとも立っていると思うのですけれども、これに関しては、まずもう少し具体的にお答えください。
また、スケジュールとして、その細かい、この後の市民参加は当然なのですけども、その後のスケジュール、上程スケジュールというか、その辺を分かる範囲でこれはお答えください。
質問の1番の2に関しては、明確に最高権限者は市長ということですから、これは了解いたしました。
質問の1番の3に関しては、別段どの市長になっても、どのように関与していくかという、その作用について、プロセスについてお聞きしています。どういう考えの方がなるか、それによってではなくて、どういうような形で関与していくかというしつらえの部分を聞いておりますので、そこは説明をお願いいたします。
次が学校のほうです。結局、人口が増えて、結局生徒というか子どもたちが増えて学校が増えていったわけです。昭和22年に第一中学ができて、昭和24年に二中ができた。そして──奥の一番左の方、起きていらっしゃいますか──そして三中が昭和26年にできて、四中が昭和28年、そして五中が昭和36年にできて、六中が昭和46年にできた。二、四、六、八、六、六と覚えました。結局これは、数が増えていったことに対する、これは非常にシンプルで、かつ合理的に増えていったわけなのです。そうすると、この減少に対しても、別に減ってもこれは僕はおかしくないと思うのです。だから、合理的に考えていくというのは非常に大切なことで、何を言っているかというと、一番肝腎なのは、変化にしっかり対応していくということです。漫然と設備をそのままにしておくというのは、資産の有効活用だと私は思いません。
そういう件でいうと、これは副市長ではなくて教育長のほうを向いて言わなければいけないのだけれども、しっかりとしたそういう合理的な、効率的な考え方で対応ということは考えられないのかということです。確かに、この数年は中学校の生徒は戻っていますけれども、著しく昔のように4割近くのものが戻ってくるとは思えないです。どんどんとここに、要するに武蔵野市に住む方々も変化があるわけであって、また、いわゆる私立や国立学校の中に流れていく子も多いと思うのです。そういうことからいうと、もともとの人口の減少、もっと言うと、人口の変化に対してどう対応するかということをもっと具体的にお答えください。
2番に関して、学校の生活の質なのですけれども、例えばクラブ活動でも、魅力のあるとおっしゃっていましたが、今は選択の余地すらないのです。例えばラグビーをやりたい、まあラグビーは中学でもそんなにないかもしれないけど、恐らくハンドボールぐらいだったら結構ある学校とかがあるのです。でも、ハンドボールをやっている学校が幾つかあるかとか、ここの学校に行くと野球部とサッカー部しかないとか、そういうことでいうと、選択の余地が減るというのは、学校生活の課外活動の面の質としては、やはり私は劣ると思うのです。当然、時代が違うから、我々が中学生の頃というのは1学年に9クラスあって、部活動はほぼ全てありました、思いつくものは。だから、そういうことからいうと、選択の余地すらないというのは、児童や生徒に対しての質的な担保はされていないと思うわけです。
例えば授業に対してもそうですけど、例えば習熟度別のクラスをつくるにしても、もともと2クラスとかしかなかったら、それはなかなかできませんよね、細やかに3段階とかでできなかったりするわけですけど。そういうこともあるし、簡単に言うと、数というのは圧倒的な強さがあるのです、当然のことですけど。
もう一つ、社会的経験にしてでも、人間というのはいろいろな摩擦を起こしていくわけです、いろいろな人と人、友達とかということになりますけれども。その摩擦の中で人間形成がされていくわけです。そういうことでいうと、もっと分かりやすく言うと、親しい5人ぐらいの人といつも交わっているというか、いろいろな交流があるのと、20人の人と交わっている人というのは、これはやはり違うわけです。これはいわゆる対応的な力です、いろいろな人と摩擦を起こしていくという。でもこれも、今言っているのは全部数で担保できることなのです。ですから、ここでいっている2番というのは、学校生活の質というのは数にかなり影響されるということを言いたいのです。この見地から、もう一度ここは御説明ください。
統廃合に関して、具体的に学校名までおっしゃられていたのですが、私は別にどこの中学とどこの中学がくっつくとか、全くそういうことは考えていなくて、それよりもっとすごい、全く違うことを考えているのは、市立武蔵野中学校という1つどんとしたものをどこかに造って、まあ、場所の問題とか、そんなことは別です、僕はいつも夢見ていますから。そこには例えばすごい体育館があって、温水プールがあって、習熟度別クラスもきちんとあって、何にでも対応できる、そんな学校があったら行かせたいなと、親だったら思うと思うのです。そういうことでいうと、別に具体的な統廃合、どこの学校が今少ないからどうとかということは言いません。だから、そういうことに関して、いつもでっかい話をしていますから、もうちょっと夢を持ったような考え方、そういう見地から、切り口から御回答をお願いいたします。
そして、狭小な当市の特色を生かしたというのは、これはもうヒントを与えているわけであって、地方の学校に行くと、平気で──平気でという言葉は適切ではないか、当たり前のように通学距離が5キロとか10キロとかあるわけです。自転車に乗って行くわけです。当然、交通の問題もいろいろあるけれども、私はたまに市役所に来るときは、御殿山ですけれども、ここに歩いて来ます。せいぜい25分ぐらいです。早足で来ると20分で来ます。駆け足だと10分ぐらいで来ます。だから、それはちょっと例を言いましたが、要は、武蔵野市の場合は、東西の端、南北の端から来ても、例えば真ん中に造れば、そう遠くもないわけです、足腰にもいいだろうと私は思いますし。だから、そういうことからいうと、狭小だからといって、悪いことでは全然ないのです。
ちょっと話は飛びますけど、重厚長大とかという日本の経済なんて軽薄短小に移っていってどんどん力が強くなったのと一緒で、逆転の発想です。狭いからといって全然悪いことではないし、それを生かしたという発想とかというのはないのかということで、私の今の意見に対して御回答をお願いします。