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令和6年第1回定例会

3月12日(火曜日)

令和6年第1回定例会
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深田貴美子
深田貴美子
日本維新の会武蔵野市議団現職

映像ID: 2681

12408◯4 番(深田貴美子君)  それでは、日本維新の会武蔵野市議団を代表しまして、陳受6第1号 「女性差別撤廃条約選択議定書の批准を求める意見書」提出に関する陳情について、賛成の立場で討論をいたします。そして議員提出議案第2号である意見書にも賛成をいたします。
 課題があるからこそ、意見書を提出し、そして国会で大いに議論をしていただこうではありませんか。人口減少、少子高齢時代を迎え、男女ともに多様な生き方を尊重し合い、一人一人がよき人生を送れるようにと願っています。
 一方で、慣習や法制度の中で貧困に苦しみ、不当な立場に置かれがちな女性がまだまだ多くおられることを認識しなければなりません。国際社会を構成する良識ある国家として、グローバルにローカルに山積する女性問題の課題解決に向かって、対話と理解、協調を求めていく必要があります。とりわけ女性に対する暴力、性暴力、ハラスメント、ドメスティックバイオレンスなど、推定無罪や法は家庭に入らずといったこれまでの法理が、どれだけ多くの女性の人権と生きる希望を封じ込めてきたことでしょう。
 1967年、国連総会で女子差別撤廃宣言が採択され、法的実効性を担保するために、1979年、国連総会で、正式名称、女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約として採択されました。日本は1985年に国会の承認を得て、条約に批准しています。選択議定書批准は、条約締約国が条約の実効性を強化し、女性個人が抱える難題、課題を解決するための個人通報制度と調査制度を可能とする手続であります。
 締約国会議で選出された23人の女性問題専門家によって構成される女子差別撤廃委員会、通称CEDAWは、国際人権保障のグローバルな展開の中で、国内的救済手段を尽くしてもなお救済されない権利を守るために、一般的勧告を示す権限を持っています。我が国は現在、秋月弘子氏が国連女性差別撤廃委員会副委員長を務めておられます。国際女性デーである3月8日の日本経済新聞、25ページに、「女性活躍、次のステージ」へと題して、我が国の課題を述べておられます。
 この機会に一言申し上げておきます。ジェンダーとは、文化的、社会的につくられた性別のことで、生物学的な性別とは区別されるものです。人が自我を形成する過程で、女らしさ、男らしさといった基準をもってふさわしいとされる行動や、その態度が、男女間で社会的に非対称性、つまり平等でない状況をつくり出しているということを問題にしています。
 フェミニズムとは、社会的性差に基づき、女性と男性の間にある不平等や差別を認識し、正そうとする思想、学問、運動の総称であり、18世紀の後半、ルソーの教育思想にある女性差別主義を批判した、メアリ・ウルストンクラフトは先駆的存在でした。
 1848年、第1波フェミニズムは、男性と平等の市民権を求める女性参政権運動であり、我が国においては市川房枝氏が、明治、大正、昭和を貫いて、女性の参政権の獲得と女性の地位向上に御尽力をいただきました。1960年代後半からの第2波のフェミニズムは、戦時中に銃後の守りとして職場に送り込まれた、能力を開発されたアメリカの中流階級の女性らが原動力でした。戦後再び女性は家庭という私領域に閉じ込められ、社会における男女の不平等な権力構造下に置かれたことを不満とし、制度や意識の見直しを求める運動となりました。
 人種差別を撤廃するための公民権運動と軌を一つとして、レイシズム(人種差別)、セクシズム(性差別)、エイジズム(年齢差別)は、世界3大差別として世界共通の認識となりました。申し添えればフェミニズムにも様々な流れがあり、公的領域における女性の権利と機会の平等を求めるリベラルフェミニズム、家父長制度を問題とするラディカルフェミニズム、そのほかマルクス主義フェミニズム、社会主義フェミニズム、ポスト構造主義フェミニズム、エコロジカルフェミニズム、グローバルフェミニズムと、多種多様であります。
 我が国に立ち戻ると、先頃亡くなられた赤松良子氏は、女子差別撤廃条約批准のための国内整備として、1985年に男女雇用機会均等法を制定し、1999年、男女共同参画社会基本法への道を切り開いていただきました。
 そして、令和2年に策定されました第5次の男女共同参画基本計画は、1、新型コロナウイルス感染症拡大による女性への影響。思い出してください。あのコロナの中で多くの女性が命を絶ちました。2つ目、人口減少社会の本格化と未婚・単独世帯の増加。3、人生100年時代の到来。女性の51.1%が90歳まで生存します。4、法律・制度の整備。とりわけ働き方改革などです。5、デジタル化社会への対応。6、国内外で高まる女性に対する暴力根絶の社会運動。7、頻発する大規模災害。女性の視点からの防災力です。8、ジェンダー平等に向けた世界的な潮流。この8つを念頭に置いて、女性の権利と地位の尊重のみならず、男性の長時間労働や健康、そしてお子さんの初めての立っち、これに関われる子育て支援、そして介護といったケアなども保障できるようにと、女性問題のみならず、男性問題も照射する時代を迎えています。
 とはいえ、内閣府男女共同参画局によれば、1980年代の女性の4年制大学進学率は12%から15%だったのです。同年代の男性は34%から40%でした。まさに私の時代です。そして今、女子の大学進学率はこの10年間で10ポイント近く伸びて、令和4年度は53%となりました。それでも男子の59%を大きく下回っており、性別によって教育機会が左右されている現実はまだ存在しています。
 私自身は、まだまだ出産、子育てが社会のインフラになっていない時代でした。ですので、出産によりキャリアを諦めなければならなかった時代でした。その経験から、子育て支援を社会のインフラにしたいと研究に身を置きました。私より2学年下の男女雇用機会均等法第1世代の女性たちの仕事と子育ての苦悩をヒアリング、そして論文にまとめました。そこには、雇用と機会は均等になりながらも、子育てと介護といったケアは、そのまま女性役割の現実の壁を打ち破れず、キャリアを諦める彼女らの姿がありました。
 ところが、それをばねとして、地域でNPO活動を立ち上げ、力強く連帯をし、そして自治体における保育所の増設運動や国会でのロビー活動、内閣府、厚労省、文科省の委員を歴任し、子育て支援を主流化していく彼女らの姿を追うことができました。今日、こども家庭庁発足の礎となった彼女らの信念の活動に、心から敬意を送りたいと思います。
 最後に、満を持してこのたびの陳情を提出してくださったむさしの男女平等推進市民協議会の皆様には、心から敬意を表し、立法府として引き続き職務を果たしていきたいと思っております。
             (3 番 大野あつ子君 登壇)(拍手)