12446◯7 番(本多夏帆君) ワクワクはたらくを代表し、不採択の立場で討論します。
なお、今回の陳情のきっかけとなった小学校での盗撮事案については、個別具体的なことになるため本日は触れませんが、市内では、この件にとどまらず、様々な問題が発生していることは現実であると思います。原因の分析、協議、対話、対策の実行、情報公開、そして市内の子どもたちや保護者等に向けたメッセージの出し方については、より一層の御尽力をお願いいたします。
その上で、今回の陳情については相当悩みました。というのも、過去の陳情を調べても、学校教育の内容について議会が進言するという例がありませんでした。そもそも議会にそうした権限があるのかという問いかけです。これまで武蔵野市議会であった教育関連の陳情は、教科書採択について国に対する意見書を出すものや、給食実施のための予算措置についてなどでした。確かに今回のものも教育の充実をというもので、予算措置的な訴えと読むこともできるかもしれませんが、そこにおいてさらに大きな課題となったのは、学習指導要領という法規範性のあるものの範囲内と言えない教育内容について、地方議会がどこまで、そしてどのように物申すことができるのかという点です。
私自身は、人権教育、性教育のより一層の充実について賛同していますし、子どもたちの世代が、この情報社会、グローバル社会を生きていく中で、現在の学習指導要領や教育内容をブラッシュアップしていく必要性は強く感じています。一方で義務教育の課程のベースとなる学習指導要領は、国において一律に定められるものであり、その上で学校での教育内容を決める権限は校長にあります。当然学校ごとに独自性を持たせるということはできると考えられますが、その範囲はどこまでなのか、議会は何に基づいて進言すればよいのか、相当に悩んだということです。
公教育とは何か、そうした問いと向き合わなくてはなりません。自分自身が今このテーマに、内容に賛成できるからそれでいいというのは、地方議会の権能としてどうか、この判断が前例になるということを考える必要があると思います。定められた教育内容に対して、あれをやれ、あるいはこれをやるな、そうしたことが今後もこの場で行われていくということでいいのでしょうか。それこそ教育は安定的な運用が求められるものであり、時の政治が混乱を来さないようにすることも必要だと考えます。
教育基本法第16条には、「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない」と規定されています。不当な支配とは、教育の自主性、自律性を侵害するあらゆる支配を意味し、その趣旨に従って、教育現場・内容への過度の介入は許されないという制約が生まれるとのことです。このことは、かの七尾養護学校事件において議論されたことです。地方自治における教育の権限はどこまでか、議論する場はどこなのか、私たちも学び、よく整理をしていかなくてはいけないと思います。
無論、市民からの陳情はとても重いものです。今回の会派の判断において、だったら市民はどこに助けを求めればいいのかとお叱りもいただきました。ただ今回、陳情者による陳述や質疑等を通して、書面からは読み取れない部分含め、市に陳情の趣旨は伝わったと考えており、私たちもこれで終わりにするのではなく、今後様々な機会を捉えて目的が達成されるよう、重ねて働きかけをしていく所存です。
議会の権限などという、どこを向いて仕事をしているのかという御意見も受け止めてはおりますが、私たちとしては今後、自分が賛成しかねる内容の教育がこの場で議論された際にも、自分たちの立場が変わっても、議会が、言うならば権限の濫用といったようなことが起こらないように努めて考えていくことも役目の一つと考えて、今回の決断をいたしました。
子どもたちへの教育の充実は、きっと誰もが望むものです。それは子どもたち自身の幸せであり、子どもたちの未来にもつながる大切な取組です。自身も子育てに直面する者として、子どもが加害者、被害者、傍観者にならないための行動をしていきたいと思いますし、これは私たち自身、大人にも言えることです。より一層の教育の充実に向け、社会全体での議論へつなげていきたいと思います。
以上です。
(20番 三島杉子君 登壇)(拍手)