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令和6年第3回定例会

9月4日(水曜日)

令和6年第3回定例会
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13283◯市 長(小美濃安弘君)  質問の意図がよく分かりました。おっしゃることはよく分かります。私が議員になりたての頃って、ボランティアって無償が当たり前で、だんだんその後有償ボランティアという言葉が出てきたのです。有償ボランティアって何だと、自分の中では消化できなかった時期があります。先ほどもお話ししたとおり、社会性、自主性、無償、これがボランティアの3大原則でしたから、有償ボランティアって結局ボランティアではないではないかという思いが自分の中には、当時議員になりたての頃はございました。
 しかし現状ではこの有償ボランティアというのが、もう既に言葉として市民権を得ておりますので、有償か無償か、だからあと残ったのが自主性と社会性なのです。そういうところで対価が発生するのか、しないのかというところで、ぎりぎりボランタリーなのかなとは思うのですが、もともとボランティアの語源というのは、英語で言うと志願兵というのが一番最初に出てきます。いわゆる、もう自らを国のためにささげてもこの国を守るのだと、そういう志願兵というような気持ち、そういうところがボランティアの語源だとすると、あまりお金ということはここに関わってこないのかな、むしろ社会性とか自主性とかというものが重きを置かれることなのかなと。
 そういう前提をまずお話しさせていただいて、では今のコミセンの窓口というのはどうだろうかと。社会性もちろんあるとは思いますが、果たして、では自主的にやっているかというと、少ない人材の中、担い手の中で、もう無理無理時間を工面して、当番制でやられているというところがたくさんございます。これをボランティアとしていいのかというのがあるわけです。
 なのでここには一定程度の対価が生じてくるのは当然だと思うのですが、しかし、先ほど私は妥当な対価、手当というお話をさせていただきましたけれども、この間、先日初めてコミセンの協議会の方々とお話をさせていただいたときに、やはり窓口手当に対しては、ほとんどの方が妥当ではないという意見をお持ちでしたので、それならばやはり考えましょうということで、今、担当部署と協議を進めているところであります。どれぐらい考えられるかというのはこれからの議論になるわけでありますが、事ほどさように、ほかの部署でもそういったことが見受けられるのかもしれませんので、これはやはり棚卸しするべきなのだろうなというふうに思っています。
 必要な部分には、また必要な支援をしていかなければ。支援というのかな、必要なものが必要なのかなというふうに思っておりますが、ただ先ほど西園寺議員がおっしゃった保護司という例があります。私はまだ現役の保護司ですけれども、保護司はもう全くの無償です。むしろ保護司会に会費を払って活動を続けているぐらいでございますので。
 なぜ私が保護司を続けているかというと、やはり罪を犯した人が更生して、そして社会に旅立っていく。その後って追えないのです、実は我々は。もう一旦手を離れてしまうと、連絡することすらできない。しかし、いつかどこかで頑張ってくれているのだろうなと、そういう非常に希望を持って送り出すことができる。自分にとっての喜びを感じることができるということに、大変保護司の仕事の誇りを持っています。そういったことに対しては、私は対価なんて全く必要ありませんし。
 なので、何が言いたいかというと、要するに、先ほど我慢して仕事を行うという表現がありましたが、我慢して行うものに関しては、一定の対価というのは必要になってくるかもしれませんけれども、やはり自分の喜び、楽しみ、自分の成長、そういったものに関しては、私は今までどおり、無償のボランティアがあってもいいのかなというふうに思っているところであります。
 お答えになっているかどうか分かりませんけれども、先ほどの御質問、その骨の部分をしっかりとしろということに関しましては胸に刻ませていただきましたので、せっかくいただいた御提案でございますので、今後庁内で協議をさせていただきたいと思っております。